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息子3カ月

息子が3カ月になりました。ブログの内容が育児中心になってしまうのですが、仕方ないです。24時間体制で育児中なので。。。
最初の1ヶ月半は怒涛の如く過ぎ、2カ月目くらいから徐々に元気になりました。そして3カ月過ぎた今、マザーズグループなるもに参加しました。
育児って孤独だと思っていたけれど、本当に孤独。最初は何をしても赤ん坊は無表情でもちろん何も話さないし。夫バズは帰りが遅く、まる一日この反応のない息子と二人っきりでした。でも最近は、笑ったり、あーとかうーとかいうようになり、なんとなく会話をしている気分で、ほぼずっと話しかけています。日本語で。
みんなこの孤独を感じているようで、しかも赤ん坊の機嫌が悪いときなど、気晴らしにも行きたくなります。それがマザーズグループ。市が3カ月までの赤ちゃんのお母さん対象に4回無料で開催していて、そのあとは、同じグループの人達と連絡先を交換して自分たちで集まるなりなんなりしてくださいというもの。他の人と知り合ういい機会でした。一人目の子供の母親たちはだいたい私と同じくらいの3カ月になりかけの人達。そろそろ元気になってきて、外にでようかな、という頃。二人目の人達は慣れているのか、生後4週間とかで参加している人も。強いなあ。

このマザーズグループは、保育士さんがテーマを挙げて、それについて、自分のところはどうだとか、質問があれば聞いたりとかみんなで情報交換したりとか。ほとんどが、赤ちゃんの睡眠(睡眠時間とか寝かせ方など)、母乳やミルクを飲むかとか、おしゃぶりやおもちゃのお店の情報とか。グループの中に助産婦さんも偶然いたので、とても頼りになります。約1時間半のくらす中、赤ちゃんたちはそれぞれミルクや母乳を飲んだり、寝たり、泣いたり、うんちしたり、ごろごろしたり。。。母親たちはあやしながらお話します。かなり忙しい。双子の人もいるけれど、彼女が一番お話好き。すごいなあ。

そのほかには、図書館で、1歳までの赤ちゃん対象に、30分くらいでお歌のクラスがあり、誰でも無料で参加できるので、何度か行ってみました。まず、英語の歌の歌詞を覚えないとついていけない。。。そして振り付けもあり。。みんなしっているみたいだったので、どれも相当有名な歌なのだろう。「きらきら星」とか「幸せなら手を叩こう」とか、日本語でも歌詞わからないから、鼻歌で参加。どうせ息子は歌に反応したりはまだしないので、適当で大丈夫。父親もちらほら参加していて、さすがだなあと思った。

ゼロさいから絵本を読み聞かせるのがいいと聞いたので、図書館で本を借りてきた。が、英語の絵本あなどれない。単語の発音も意味もわからなかったりする。ので、絵本の絵をみて、自分で勝手にストーリーを想像して、すべて日本語で読み聞かせしています。図書館にいた近くの子供が隣で覗いてくるので緊張する。日本語わからないだろうけど、適当なストーリーというのもバレないので、緊張しなくていいのに。

あとは、会社の上司が紹介してくれた日本人の方のつながりで、日本人のママ友も数人できて、とてもうれしいです。息子には最低限日本語会話はできるようになってほしいなあと思っています。読み書きもできたらいいけれど。

ちなみに、ママ友もいいところは、旦那の愚痴も言えること。みんな同じような事があるんだなあ、とわかってよかった。旦那はママ友の集まりが旦那の愚痴発散の場とは知らないだろう。ははは。でもオーストラリア人のママ友は結構「ウチの夫は色々手伝ってくれるので助かってるんですよー。」と、ラブラブぶりを発揮している人も中にはいる。

最近の一日の様子
2時 授乳
5時 起床 授乳
6時 朝は機嫌がいいので朝ごはん食べる
6時半 散歩 その後機嫌がいい時は一人で遊ばせておいて洗濯
8時 授乳
9時 図書館 やマザーズグループに行く
11時 授乳
13時 帰宅 昼ごはんはあまり食べられない。午後からご機嫌ななめ
14時 授乳 だいたい1時間くらい昼寝。私はキッチンの片付けなどの家事。
15時 遊ぶ 相手をしないと機嫌が悪くなる。遊ぶのに疲れてくるが、外が暑い。
16時半 夕方の散歩
17時 息子お風呂
18時 授乳
18時半 息子就寝
19時 私夕食と翌日の準備や片付け等。
21時 私就寝
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出産後の病院生活1週間

前回のブログの通り、結局帝王切開の出産になりました。
私の入院した病院では、自然分娩で24時間から、帝王切開で36時間からの退院が目安と聞いていたので、自然分娩だと、大体1晩病院で過ごして退院なんだ、と簡単に考えていた。結局1週間も病院にいることになろうとは。。。

まず、その日から、帝王切開の麻酔が効いているので、カテーテルをつけられる。そして、痛み止めなどの点滴2種類くらいが腕に。帝王切開は、そのあとが痛いと聞いていたけれど、本当に痛い。ベッドから起き上がるにも、唸りながら、ゆっくりとしかできない。横で赤ん坊が、泣いていたり、ゲボゲボしていて、すごく苦しそうにしているのに、起き上がってから点滴とカテーテルを両手でゴロゴロして、約1メートルをいくのに、数分かかる。看護婦さんを呼ぶボタンもぽろっとベッドから落ちたら最後、ボタンが押せない。運良く押せても、もちろんすぐには来てくれない。本当にすぐ隣に赤ちゃんが苦しがっているのに、すぐに対応できないのがとても悔しく、申し訳なかった。日本では、どうやら最初は赤ちゃんを看護師さんが面倒見てくれるそうなので、羨ましかった。自分の赤ちゃんと同じ部屋で最初から過ごすのはいいけれど、かなりしんどかったなあ。もう何が何だかで、かわいいとかそういう感情を持つ余裕さえなかった。

手術をしたので、ガスが出ないといけないのに、ガスも出ず、それにも苦労。毎日の病院食は、ほとんど「お湯、お茶、具なしのスープ、やわいゼリー」以上。何とか6日目にしてガスが出た。

出産当日だったか翌日だったか、私の血圧が、41−69になり、ドクターたちが20人くらい来て、私を囲み、なんだかんだ質問された。気分は悪くないのかなど。あまり覚えてない。でも、気持ち悪くもなかったし、めまいも感じられず、なんでこんなにたくさんドクターが来るのだろう、と思っていた。(知らぬが仏)。 そのあと、CTスキャンなどをしたが、自然と治った。

運良く個室だったからよかったものの、相部屋だったら、ベッドの周りをカーテンで仕切られているだけで、トイレは共同。絶対個室でよかった。。。。

オーストラリアの病院では、それぞれの専門にかなり細分化されている。私を見てくれるドクター(その中でも色々と違う専門分野のドクターに分かれていた。)と赤ちゃんを見てくれるドクターは違うし、入院中に赤ちゃんの聴覚をテストする人、血液検査をする人、私に産褥体操を教えてくれる人、等。入院中は、看護師さんを中心に、色々なドクターが入れ替わりたちかわりで、血圧と体温検査、薬も数時間おきにあるし、結構忙しい。

1週間後、めでたく屁が出て、母子ともにプップップーと屁をこきながら、やっと笑えた。(笑うと傷が痛い。)
そして、退院。退院前の説明を受けて、ドクターのオッケーが出たら、いつでも退院していいとのこと。すべて無料なので、病院を出るときは、「ありがとう、さようなら〜」と言うだけ。すべて無料は本当にありがたい。

久しぶりの外の空気。暑い、めちゃくちゃ暑い。赤ちゃんは初めての外の世界。無事に家に帰ってきてからがバタバタだった。母乳と粉ミルクの混合なのに、粉ミルクの作る手順を把握していなかった!なんとかできてとりあえず授乳。

それから約6週間。私の両親とバズのおかあさんの助けを借りながらでも、本当にしんどかった。でも、6週間が経つ頃に、ようやく慣れてきて、やっと子供がかわいいと思えるようになった。

自分が実際に出産を体験して、世の中の母親達、本当にすごいと思えるようになった。母親は強し。強くならざるを得ない、我が子を守るために。。。。

男の子誕生

2018年になり、1月に3840グラムの元気な男の子が無事に生まれました!
なかなかブログを書く時間がないのですが、ちょっとずつ書いていけたらいいなあ、と思っています。

今回は出産時のお話。

その日は平日。何だか早朝からお腹がちょっと変で、今日生まれそうな気がしていたけれど、とりあえずバズは普通通り、会社に行った。でも、段々と、お腹の変な感じが、もしかして陣痛?のように痛くなってきて、間隔を計ると、約20−30分おき。それから間隔がどんどん短くなって、お昼ごろに6分くらいまでになったので、バズに帰ってきてもらう。バズが家に帰ってきた2時ごろには、すでに4分間隔くらいになっていたので、車で病院へ。

病院では、部屋がいっぱいだからと、普通の待合室で待たされる。その間も陣痛がひどくなる。待合室は、計画帝王切開の人とか、その家族とか、普通にゆったり待っている人ばかりの中で、私一人、陣痛に耐える。椅子に座ってられず、床にひざまづいて、バズに腰をさすってもらう。かなり練習した、呼吸法を痛みが来るたびに繰り返して集中。呼吸法はすごい。ぎゃーと叫ぶんじゃなくて、ろうそくの火を消すように、フーッと一点に向かっていきを吹きかけるようにすると、痛みに堪えられるというのは、本当だった。それでも2時間近くまっているとそれも限界に来るので、陣痛の合間にレセプションに行って、「順番まだですか?」と聞いたけれど、何度もまだだと言われる。もう陣痛もかなり間隔が短くなってきていて、聞いている間にも陣痛が来ている。やっと部屋に通された時には、すでに8センチも開いていて、すぐに分娩室に通される。が、これがまた分娩室まで、エレベーターに乗って、受付まで歩いて行くという。。。やっとの思いで分娩室。

分娩室には、バランスボールやら浴槽やらの設備があったけれど、それどころじゃなくて、もういわゆる普通の分娩台に登るだけで精一杯。助産婦さんに、陣痛の合間に、「ガスや、無痛分娩もその時に必要だったら選べると聞いたんですが、どのタイミングでリクエストしたらいいんですか?」と聞くと、「我慢できなくなったら、いつでもいいけど、する?」と軽く聞かれて、「いや、まだ大丈夫です」と答える。なんだか我慢できそう。しばらくして、ドクターが来て、内診したところ、もう10センチ開いているので、いきんでください、とのこと。だから、さっきからもうかなり痛いゆうてるのに!助産婦さんが、「あなたがあまりにも静かだから、まだまだだと思ってたわ。日本人は我慢強いって聞いてたけど、本当ね。いつも日本人の妊婦さんは静かなのよね。」と言う。それから、何度もいきんで、ドクターが「ほら、もう頭が出てる!頑張れ、頑張れ」と言ってくれて、後ちょっとだと思い、力を振り絞る。夫のバズは隣で、どうしたいいのかわからず、「いいぞ、いいぞ」とかなんとか言っていた気がするけれど、覚えていない。分娩室に来て、約3時間ほどして、ドクターが「どうも赤ちゃんの頭が引っかかってて、あなたの骨盤が小さいのか、自然分娩では生まれなさそうなので、帝王切開に切り替えますが、いいですか?」と聞く。ここまで頑張ったのに、無念。

その後、帝王切開の説明を別のドクターから受けて、その間にもものすごい陣痛はそのまま放置。意識が朦朧としてストレッチャーで手術室に運ばれる途中で、帝王切開の承諾書にサインをさせられる。詳しく読んでられるか!サインもフラフラのままする。

手術室。麻酔を打たれるまでは、陣痛が続いているので、かなり痛い。その合間に麻酔が打たれるので、痛みは全然わからなかった。麻酔が効いてきたら、震えが止まらない。夫が手術服に着替えてきて、変な赤い帽子をかぶっていて、笑いそうになった。そして、隣に来て、またどうしていいのかわからずただそこにいた気がする。私はもうわけわからなくなって、夫に「口が臭いから近づくな」と酷いことを言ったのだけ覚えている。私の口もくさかっただろうに。

どうやら赤ちゃんが取り出されて、しばらくしてから、オギャーと聞こえた。(すぐには呼吸していなかったらしく、ちょっと保育器に入れられたそう。そして、いつの間にか、夫が赤ちゃんのへその緒を切っていた)「男の子か女の子がどちらと思いますか?」とドクターに聞かれて、「うーん、男の子かな?」と答えたら、「正解!男の子でーす!」と言われ、まだ私のお腹が完全に開いてるのに(見えないようにされていたけれど、ライトに反射していたので、ちょっとは見える)、赤ん坊が私の胸のところに乗せられた。もっと感動してもいいのだろうけれど、正直な感想は、「あれ、もっと血まみれと思ったら、結構綺麗じゃん、もう洗われちゃったのかな?予想より重いなあ。こんなに重い子が今までお腹の中に入っていたのが不思議だなあ。胸のところに置かれたのはいいけれど、手の震えがすごくて抱っこできないよ。もういいから早くお腹を縫って下さい。」ということを考えた。本当に、感動して涙するかと想像していたけれど。そのあと、1時間ほどチクチクお腹が縫われ、ドクターから、「通常よりも複雑だったので、時間がかかってすみません。実は、普通は横だけ切るのですが、それでも赤ちゃんが出てこなくて、長い分娩のため、赤ちゃんの体力も限界に来ていたので、もう一箇所、縦にも切りました。もし二人目のご予定があるのでしたら、次回は絶対に最初から帝王切開にしなければ傷が裂けるので、気をつけて下さい。」とのこと。はいはい。元気な子が生まれたから、なんでも大丈夫です。

それから、別室に連れて行かれると、そこでバズがトーストを食べ終わったところで、赤ちゃんもいた。そして「すぐに授乳開始してください」と、ぼーんと赤ちゃんを胸に乗せられ、授乳。休む暇なし。どうやったらいいのかもわからないし。とにかくされるがままに授乳をして、やっと病室へ着いたのは、翌日の午前4時でした。それからが地獄の入院生活。

ドラマとか映画でよく見るように、夫が失神するとか、感動して泣くとか、生まれてすぐの赤ちゃんが可愛くて仕方がない、とか、全くそういう感じではなかった出産経験でした。でも、今では、我が子が可愛くて仕方がないし、出産や新生児育児の大変さをかなり忘れるくらいになっています。

オーストラリアのパブリックホスピタル、これら全部無料!入院費用なども無料!無料だからあまり期待していなかったけれど、病院の方たち、みんなに本当にお世話になりました。オーストラリアで出産して良かったと思います!

2017年振り返って

2017年もそろそろ終わり。今年は本当に色々な変化がありました。

1月:夫婦でまだ無職だった。バズの家族の家を転々と居候させてもらっていたっけ。ロンドンから持ってきたのは、スーツケース1つずつと、二人で6箱の荷物だけ。センターリンクからの少額な無職サポート(バズだけ。私は外人なのでサポートなし)では、食費でも足りず、両替したオーストラリアドルもそろそろ底をつきようとしていた。

2月:夫婦で同じ頃に仕事が見つかり、ちょっと安心する。すぐに賃貸アパートを見つけ、最小限の家具を買う。(テーブル、ソファー、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、キッチン用品など)初めての現地企業で働くことで、知らないうちにストレスがあったのかもしれない。仕事と家のセットアップでなぜか毎日忙しかった。

3月:引き続き、生活に必要なものを買い揃える。

4月:生活にも慣れてきて、家を買ってしまおうということになる。家を見つけ、不動産屋や弁護士や住宅ローンエージェントや銀行やらとのやりとりに奔走。

5月:妊娠発覚。つわり中でもなんとか引越しを乗り切る。

6月:ACCA試験を受ける予定が、つわりのため、断念。妊娠について、色々と勉強する。(グーグル検索ですが)。会社に妊娠報告をする。

7月:ジャングル状態だっった家の木を切ったり、安全な状態ではない階段を大工に修理してもらったりと家の最低限のメンテを開始。仕事では正社員にしてもらい、安心する。

8月:引き続き、家の最低限のメンテをする。血液検査などもあり、何かとすることがあったなあ。

9月:バズの実家に遊びに行く。しばらくは休暇も取れないだろうから。

10月:両親学級に毎週二人で参加。引き続き家のメンテに散財する。ベイビーシャワーをしてもらう。

11月:産休準備が本格的になる。ついに車を購入し、赤ちゃん用品や家の道具を色々と買い揃える。

12月:出産準備。産休に入る。

1年を振り返ると、本当にたくさんのいい変化があって、たくさん学んで、忙しかったけれど、とても充実した1年だったと思います。そして、今年もまた、いろんな人に助けられて、やってこれたと思います。遠く日本にいる家族はもちろん、オーストラリアのバズの家族や、会社の人々や、日本やロンドンの友達や、ご近所さん等。そして、バズと一緒だから、ここまで出来たのだと思います。一人だったら、今頃路上で大道芸でもしているかもしれない、いや、その前にオーストラリアに来ていないか。

ブログを読んで応援してくださった皆様、どうもありがとうございました。
また、来年もよろしくお願いいたします!

出産準備

予定日まであと少し。生まれそうでまだ生まれません。早く生まれてくれないかなあー。
私の出産予定病院では、自然分娩で問題がない場合は、なんと最短6時間で退院です。でもだいたい1泊くらいするらしい。それでも入院の準備は必要なので、一応準備したものを書いておきたいと思います。

病院からもらった持ってくるものリスト
<赤ちゃん用>
新生児用オムツ 2ダース
シングレット(山下清の着てるやつ) 6着
ジャンプスーツ(上下繋がってるやつ) 6着
コットンラップ 6−8枚
おしりふき
赤ちゃんをお風呂に入れるフェイスタオル 3枚

<お母さん用>
妊婦レコード(母子手帳的なもの)
Tシャツなどリラックスできる服
歯ブラシなどの洗面道具
産褥パッド 2パック
マタニティーブラ
医薬品(葉酸サプリ等)
ペン

<その他>
マッサージオイル
スポーツドリンク
音楽
携帯電話と充電器
車に赤ちゃんのカーシートを設置していること

これらの他に、先輩ママ達から聞いた、持って行った方がいい物を追加しました。
赤ちゃん用爪切り
お母さん用ガウン
帰りに着る服(お母さん用と、赤ちゃんはちょっと可愛い服)
パジャマ(前開きか、前が伸びるもの)
Hydro Lite (スポーツドリンクの様なものだけれど、タブレットで、水に混ぜるもの。喉が乾くらしい)
スリッパ
テニスボール (陣痛の時にマッサージする用)
赤ちゃんの服は、夏服だけれど、日本から送ってもらった新生児用服5−6枚
リップクリーム
赤ちゃん用コットンと綿棒
ティッシュ
髪の毛を結ぶゴム(お母さん用。陣痛時に。)
櫛と化粧品(お母さん用。退院の時に、髪の毛がボサボサだと写真を撮った時に後悔するらしい。)
シリアルバーなどの軽食

色々と、これもいるかも〜、なんて考えていたら、結局バッグ2つになりました。
自分の枕や抱き枕も持って行った方がいいと言われたけれど、特に愛用品がないので準備せず。
アロマオイルも、いつも使っていないので、特に準備せず。

いつでも病院に行けるように、一応荷物はまとめて置いています。
いつ生まれて来るのかなあー。
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